サン・ジェルマン伯爵
Comte de Saint-German

1710??〜1784??

本名とされるのは、トランシルバニアのラゴッツィ皇太子サンジェルマン。一説にはスペイン王カルロス二世の実子であるともいわれている。
1777年に自らラゴッツィ皇太子の嫡子であることと、皇太子としてライプチヒに姿をあらわしたことを認めている
フランス国王ルイ十五世とも親交があり、メディチ家とも親しい関係にある。
ヨーロッパの言語はもとより、世界中の言葉を自由に操るだけでなく、サンスクリット語やヘブライ語など古代の言葉も話し、読む事ができた。絵画や音楽にも精通するだけでなく、自らもたしなみその才能は本物の芸術家以上であり、国王に1万フランのダイアモンドを贈ったりも平気でする大富豪であった。
さらに錬金術や魔術も使いこなし、ときには予言もする彼は社交界の人気者で、彼にまつわる公式な記録は教会に没年が1784年と記してあるだけだが、当時の社交界の人々の手記や日記で彼について多く知る事ができる。それらによると彼に関する謎は深まるばかりである。
例えば、彼は1785年(死亡年の翌年!?)にはフリーメーソン会議に出席しており、1788年にはヴェニスにいた事が認められている。
さらにジャージー伯爵夫人と言う人物の回想によれば、1710年(生年)にヴェニスで50才前後の彼に出会っているということである。フランス革命のとき(1789年)も彼を見たと言う証言が多数あり、19世紀にもインドで著名な神秘学者が彼と会い、話をしている。(彼がフランス革命の首謀者の一人である、という説もある。)
社交会で彼が告白した言葉を借りれば、彼は4000年以上も生きており、50才前後の姿から年を取らないということである。
1784年に彼は社交界の人々に「少し疲れたので、200年程眠ることにする。」と言ったそうである。
彼と出会った人の記録によれば、彼は言葉通りいつでも50才前後の外見だったようである。